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桑田武 : ウィキペディア日本語版
桑田武[くわた たけし]

桑田 武(くわた たけし、 1937年1月5日 - 1991年1月21日)は、神奈川県横浜市鶴見区出身のプロ野球選手である。現役時代のポジションは、主に内野手三塁手遊撃手)。右投げ右打ち。
== 来歴・人物 ==
横浜市立寺尾中学校では、後に大相撲で小結まで昇進する金乃花(本名・金井武夫)と同じチームでプレーした。荏原高校では、四番打者、一塁手として1954年夏の甲子園都予選決勝に進出するが、榎本喜八のいた早実に大敗し甲子園出場を逸する。卒業後は中央大学へ進学。東都大学リーグでは4年間で通算87試合に出場し、292打数84安打、打率.288、4本塁打、40打点という記録を残した。1958年春季リーグでは、小栗秀夫、若生照元両投手を擁し5年ぶりの優勝に貢献、最高殊勲選手とベストナイン(三塁手)に選ばれている。同年の全日本大学野球選手権大会では、決勝で立大に惜敗し準優勝。大学同期に森田斌外野手、1年下に小栗、若生の他、西山弘二捕手広島)、本田威志二塁手がいた。
1958年暮れ、大洋ホエールズへ入団。確実性を備えた長距離打者として四番打者、三塁手を任され、1959年には新人としては歴代最高の31本塁打で本塁打王新人王と共に獲得。1960年にはタイトルこそ獲れなかったものの打率.301を記録し、チームのリーグ初優勝に大きく貢献した。しかし日本シリーズでは、第2戦で適時打を放つものの、大毎投手陣に徹底マークされ、シリーズ通算15打数3安打1打点と存在感を発揮できなかった。1961年には打点王を獲得し、長嶋茂雄三冠王を阻止。また、この年には2試合連続サヨナラ本塁打を含む、当時の日本記録である1シーズン3本のサヨナラ本塁打を記録している。
守備においては、投手・捕手以外の全てのポジションでの出場がある。定位置は三塁手であるが、1963年のレギュラー遊撃手だったクレスの守備負担軽減のため、1964年1965年には主に遊撃手として起用された。これもあって2年連続でセ・リーグの最多エラー選手となっている。その後も中心打者として活躍するが、1968年には出場機会が前年から大幅に減ってしまう。桑田は自分を重要視してくれない別当薫監督の起用法に腹を立て、シーズン中のある日、監督と掴み合いの大喧嘩をした。これが尾を引き、1969年に大橋勲捕手との交換トレードで巨人へ放出された。
巨人では5番打者候補として期待されたが、足の古傷が再発した事もあって1本も安打を打つ事ができなかった。同年オフに戦力外通告を受け、翌年はヤクルトアトムズに在籍した。しかしここでも安打を打てず、さらにオートレース八百長(黒い霧事件)の疑いで逮捕され、3ヶ月の出場停止処分を受けた後に現役引退した。
引退後は会社勤めを経て喫茶店を経営した他、ゴルフ場の支配人も務めていたという。1991年1月21日、くも膜下出血により54歳で逝去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「桑田武」の詳細全文を読む



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