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桜井郁三 : ウィキペディア日本語版
桜井郁三[さくらい いくぞう]

桜井 郁三(さくらい いくぞう、1944年4月10日 - 2013年2月10日)は、日本政治家自由民主党所属の元衆議院議員(3期)。
== 経歴 ==
神奈川県藤沢市出身。日本大学法学部卒業。大学時代に政治の世界に興味を持ち、在学中は自民党学生部に入部。卒業後、自民党本部職員として政治を学ぶ。30歳の時、藤沢市議会議員に初当選。初めての選挙では自民党本部の職員であったことから地方議員の選挙でありながら自民党の大物政治家たちが応援に駆けつけた。以降、藤沢市議会議員を4期務める。
1996年第41回衆議院議員総選挙において51,360票を得て衆議院議員に初当選。政令指定都市ではない地方都市の市議会議員から衆議院議員に当選するのは全国的に見ても稀有なことである。
2000年第42回衆議院議員総選挙では50,814票を得たが、54,237票を得た江崎洋一郎民主党)に惜敗した。
2003年第43回衆議院議員総選挙では、江崎が自民党に移籍したことに伴いコスタリカ方式を採り、小選挙区から出馬し得票を73,767票に伸ばすも、75,826票を得た中塚一宏(民主党)に敗れた。しかし、比例復活で2選。
2005年第44回衆議院議員総選挙において108,898票を得て、75,865票の中塚を下し、3選。第3次小泉改造内閣の人事において総務大臣政務官に就任。総務庁自治省郵政省が統合された総務省の中で、主に旧自治省の管轄を担当。地方議員であった経験を活かし三位一体の改革を進めた。
2006年に発足した第1次安倍内閣では自民党国会対策委員会副委員長に就任。
2007年に行われた内閣改造により、第1次安倍改造内閣環境副大臣に就任、その後、安倍総理退陣により発足した福田内閣でも環境副大臣に就任し、洞爺湖サミット成功に導くべく環境政策の最前線で陣頭指揮をとった。
2008年に行われた内閣改造に伴う党役員人事において自民党法務部会長に就任。自民党内の法務政策の取りまとめ役に抜擢されるも、その約一ヵ月後に福田総理が突然辞意表明。総裁選挙管理委員会(任期3年)として、総裁選挙を取り仕切った。
また、神奈川12区では、江崎との間でコスタリカを採用し、次期衆議院総選挙では比例代表から立候補する予定であったが、党本部の取り決めによりコスタリカを解消。選挙区内での世論調査の結果、桜井が次期衆院選では小選挙区から立候補することとなった。
2009年8月30日第45回衆議院議員総選挙に自民党から出馬。公明党の推薦も受けた〔衆院選小選挙区 自民128人推薦 2009年8月7日公明新聞〕が110,532票を得た中塚に対し、69,524票で落選。比例南関東ブロック重複立候補し、他の自民党小選挙区候補者とともに名簿順位同列1位に登載されていたが、惜敗率が低かったため復活ならず、議席を失った。
2013年2月10日、多臓器不全のため東京都新宿区の病院で死去〔元自民党衆院議員の桜井郁三さん死去 朝日新聞2013年2月12日閲覧〕。。叙正四位旭日重光章受章。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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