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桜山 茲俊(さくらやま これとし、生年不詳 - 元弘2年1月21日(1332年2月17日))は鎌倉時代末期の武将。 通称は四郎。元弘の乱の際、楠木正成の挙兵に呼応する形で備後国一ノ宮にて挙兵し、一時破竹の勢いを示すも、笠置山の戦いにおける官軍敗戦の報に部下は四散し、桜山軍は弱体化。吉備津宮で妻子を殺害後、一族郎党と共に自刃した。 == 贈位 == * 1883年(明治16年)8月6日 - 贈正五位〔『官報』第32号「叙任」1883年8月7日。〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「桜山茲俊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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