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櫻川千代助(さくらがわ ちよすけ、1955年10月25日 - )は梅后流江戸芸かっぽれの家元で、本名は近藤貴裕。日本に4名しかいない幇間(太鼓持ち)でもある。日本舞踊、獅子舞、仁羽(ひょっとこ)、三味線など数々の江戸芸に精通した「粋人(スイジン)」。 == 芸歴 == * 1955年「梅后流江戸芸かっぽれ」宗家、櫻川梅后の長男として東京浅草に生まれる。櫻川萬作の芸名で幼少の頃より「梅后流江戸芸かっぽれ」の修行に励み、お座敷芸・踊り・獅子舞・三味線・東八拳など数々の伝統的遊芸を身につける。 * 1977年 東京ヒルトンホテル退職。芸能活動のかたわらに、絵画や化粧品のセールスなどを始める。この仕事でお客さんの気持ちをつかむコツを身につけ現在の芸に活かされている。 * 1985年 遊芸に更に磨きをかけプロとなるため、幇間芸の名人である悠玄亭玉介に弟子入りする。芸の基礎ができていたので、弟子入りしてすぐに悠玄亭萬作として、浅草見番からお披露目をし一本立ち。 * 1989年 高校の同級生である元横綱千代の富士関(現・九重親方)より「千代」の文字をもらい、萬作改め「悠玄亭千代介」と改名。 * 1995年 梅后流とは別に「櫻川流江戸芸かっぽれ」を創設する。櫻川流では、かっぽれをはじめとして、獅子舞、仁羽、日舞など、梅后流ではできない活動を行っている。 * 1996年 浅草見番から吉原に籍を移す。「櫻川千代助」と改名。 * 2003年 「梅后流江戸芸かっぽれ」家元を襲名 * 2005年 日本舞踊「西川流(家元・西川右近)」師範となる * 2008年 現在、全国に4,500人以上の弟子を抱える梅后流江戸芸かっぽれの家元として踊りの指導にあたる。また、幇間(太鼓持ち)としても、全国各地のお座敷を始め、劇場・ホール・寄席などにも出演。 * 2010年 二世西川鯉三郎の直弟子である西川鯉貴与に師事し、西川貴与三朗を拝命。 最近では、TV、ラジオ、ドラマ、マスコミ方面でも幅広い芸域で活動する。さらに、出演したドラマでは、演者としてだけでなく振り付け指導を行う。 常にひと味違った存在感を示し「人間通」「通人の域」を体現する数少ない「粋人」と称されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「櫻川千代助」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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