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桜川 慈悲成(さくらがわ じひなり、宝暦12年(1762年)(算出)- 天保4年?(1833年?)・天保10年?(1839年?))は、江戸時代後期の戯作者・落語家。本名は八尾大助(八尾大五郎)。通称は錺屋大五郎。 == 経歴 == 芝宇田川町の人物。杉浦如泉の門下で則久名乗り金工であった。この頃は刀の鞘師または陶商を従事。のちに戯作者の岸田杜芳の門下になり「親の慈悲成」と称した。のち「桜川慈悲成」と改名。 落語にも関わるようにもなり烏亭焉馬の噺の会にも顔を出し焉馬が贔屓の市川団十郎をもじって「立川談洲楼」または「談洲楼焉馬」と称したのに対して「芝楽亭」と称した。また山の手のあたりの武家に自ら噺の会を主催。戯作者としては百余種の合巻・黄表紙・噺本を残す。 没年は1833年(天保4年)とも1839年(天保10年)ともいわれる。墓所は三田の済海寺にあったとされるが現存しない。 現行の落語で残されているのは笑話本・『落噺常々草』の一遍である「腹曲馬」は「鉄拐」で『延命養談数』の一遍である「火の玉」は「悋気の火の玉」。 門弟には桜川甚幸、桜川新好、桜川一声らがいた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「桜川慈悲成」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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