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桜田武 : ウィキペディア日本語版
桜田武[さくらだ たけし]

櫻田 武(さくらだ たけし、1904年明治37年)3月17日 - 1985年昭和60年)4月29日)は、昭和の経営者。日清紡績(現・日清紡ホールディングス)元社長。日清紡績"中興の祖"〔#人国記、56-58頁。〕。日経連会長、名誉会長を務め、"ミスター日経連"とも呼ばれた〔近代日本の産業人(20)桜田武−戦後財界の精神的支柱 〕〔 未来の視座に立った事業承継 日清紡元社長・櫻田武の日本的経営 〕。「財界四天王」の一角。広島県福山市赤坂町出身。福山市名誉市民〔福山市の名誉市民 - 福山市ホームページ - 福山市役所 〕。
==来歴・人物==
1904年、商家の櫻田斉・仲子の長男として沼隈郡赤坂村(現在の福山市赤坂町)に生まれる〔。広島高師附属中学校
新霞が関人脈 佐々江外務事務次官は広大付高で寮生活 広島県 全国版 - アカシア会 公式サイト 〕、第六高等学校を経て1926年大正15年)に東京帝国大学法学部を卒業。六高柔道部で同郷で、後に「財界四天王」とともに呼ばれる生涯の盟友・永野重雄に誘われ高専柔道界の王座を築く〔#履歴書12、7-31頁。〕。東京帝国大学卒業後、日清紡績に入社。当時社長であった宮島清次郎の目に留まり要職を歴任。名古屋支店長だった1939年、35歳のとき召集され、砲兵少尉として中国戦線武漢に就く〔。留守隊に急襲してきた中国軍と応戦し、刀剣による白兵戦となり、刀の使い方などまるで知らず、丸腰で得意の柔道で次から次へと片っ端から中国兵を投げ飛ばして中国軍を退却させた〔。1942年中尉で除隊し日清紡に復帰。戦後の1945年に41歳で同社社長に就任し、日清紡績を産業界髄一の企業に育て上げた〔CiNii 論文 - <論文>日本的経営の経営思想(一) : 桜田武氏と日清紡績 青森公立大学 - 津田眞澂〕。終戦後の混乱期にラジカルな労働攻勢に出る労働者側と闘う、経営者側の代表的人物として日経連設立に尽力〔#いま明かす戦後秘史上、168-193頁。〕〔#戦後財界戦国史、9-23、45-77頁。〕。1949年総理事、1960年には代表常任理事、1974年には会長に就任した。日経連の創立から1979年名誉会長に退くまで"日経連の実質的リーダー"で、象徴的存在であった〔法政大学大原社研 1984~1985年日経連と労働組合〔日本労働年鑑 第56集〕 〕〔#カリスマの秘密、256-286頁〕〔#私の財界交友録、98-105頁。〕〔#財界四天王 保守本流を支えた財界人脈、227-281頁。〕〔#寡黙の巨星、154-159、183、227頁〕。戦後の日本経済の復興、企業の再建も五里霧中の時代から労使関係の正常化に尽力〔#人間昭和史4、167―178頁。〕。戦後、師匠・宮島を通じて吉田茂と関係を持ち、以降、「財界主流派」として政界にも強い影響力を持った〔〔#財界首脳部、7―59頁。〕〔#いま明かす戦後秘史下、14-17頁。〕〔#福本邦雄回顧録、33、34、235-273頁。〕。池田勇人内閣時には、永野重雄小林中水野成夫とともに「財界四天王」(三鬼陽之助が命名)と呼ばれるようになり、1975年からは土光敏夫らとともに、行財政改革の中心的存在となった〔週刊朝日1975年10月31日、116-120頁〕。戦後の日本経済の基盤を築いた人物の一人である〔〔#財界四天王 保守本流を支えた財界人脈、281頁。〕。1985年に81歳でなくなるまで、政界、財界に多大なる影響を与え続けた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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