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梅ヶ島金山 : ウィキペディア日本語版
梅ヶ島金山[うめがしまきんざん]
梅ヶ島金山(うめがしまきんざん)は、駿河国安倍郡(現・静岡県静岡市葵区)で採掘されていた金山である。現在は閉山。
梅ヶ島金山は梅ヶ島村日影沢金山(ひかげざわきんざん)、関之沢金山(せきのさわきんざん)、および入島村の湯ノ森金山(ゆのもりきんざん)などの総称であり、井川村笹山金山(ささやまきんざん)を中心とする井川金山(いかわきんざん)も含めて、安倍金山(あべきんざん)と呼ばれる〔『日本歴史地名大系 22 静岡県の地名』平凡社、2000年〕。
== 略史 ==

=== 古代・中世 ===
梅ヶ島村においては仁徳天皇の代に初めて朝廷に献上しており、延喜2年(902年)にも産出があったという〔小葉田淳『日本鉱山史の研究』岩波書店、1968年〕。享禄年間には今川氏の治下に繁盛し、これを「元栄」(もとさかえ)、その後慶長年間の徳川氏の治下による繁盛を「中栄」(なかさかえ)と呼ぶ。
『今川記』によれば安倍郡の金鉱は享禄以前から採掘され、永正年間以来、幕府公家へしばしば金を贈っているという。永正16年(1519年)には今川氏親が年礼金10を幕府に進呈し、享禄4年(1531年)には氏親の兄にあたる、中御門宣胤の男の宣秀の許へ金を贈っている。『実隆公記』には永正年間以来、今川氏から公家に金が贈られた記事が散見される〔。永正14年(1517年)、今川軍が遠江守護の斯波義達の居城引間城を攻めた際、安倍の金堀衆らに城内の井戸を堀崩させて攻め落としたことが『宗長日記』や『今川家譜』に記されている〔。
駿河侵攻の後、永禄年間末期には梅ヶ島金山は武田氏の直領となり、元亀元年(1570年)に梅ヶ島の地侍、百姓にあてた『武田氏朱印状』に「如前々可為御領所、然則存其旨、御上貢等可相勉」とある。
武田氏滅亡後、やがて梅ヶ島は中村一氏の所領となるが、慶長3年(1598年)の豊臣氏の『蔵納目録』には「駿河九枚、駿河黄金山、中村式部少輔」とあり、この時代、諸国の金山運上額と比べても駿河の金山はそれほど盛山ではなかった〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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