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里見忠義[さとみ ただよし]
里見 忠義(さとみ ただよし)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての大名。安房館山藩2代藩主。里見義康の長男。将軍・徳川秀忠より偏諱を受け、忠義と名乗った。 == 生涯 ==
=== 前半生 === 慶長8年(1603年)、父・義康の死により家督を相続する。慶長11年(1606年)には秀忠の面前で元服し、従四位下・侍従・安房守に叙任され国持大名の列に加えられる。慶長16年(1611年)、江戸幕府老中大久保忠隣の孫娘を室として迎えた。 だが、重臣たちは正木頼忠ら保守派と印東房一ら改革派に分裂し、また忠義も若年ゆえにその治世は困難を極めた。そんな矢先の慶長19年(1614年)9月9日、重陽の節句の賀儀を述べるため江戸に参府した忠義は、江戸城への登城を差し止められた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「里見忠義」の詳細全文を読む
英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Satomi Tadayoshi 」があります。
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