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梨元 勝(なしもと まさる、1944年12月1日 - 2010年8月21日)は、日本の芸能リポーター、タレント。株式会社オフィス梨元(東京都渋谷区代々木上原)代表取締役社長、函館大学商学部客員教授などを歴任した。 == 人物 == 東京都中野区で生まれる。5歳から埼玉県与野市(現:さいたま市中央区)に育つ〔斉藤明美『家の履歴書 今は亡きあの人篇』キネマ旬報社、2011年、p124〕。埼玉県立浦和西高等学校(1年留年する)を経て、法政大学社会学部社会学科卒業。 出版社・講談社の契約社員として女性誌『ヤングレディ』の記者を務めた後、芸能リポーターに転身した。 大学時代では、大学院入学を考えていた。大学の先輩と飲酒した際にそのことを話すと、「お前は大学入学のお金だけじゃなくて、この上おじいちゃん(当時梨元は祖父と2人暮らしをしていた)のスネをかじり、面倒かけようと言うのか!」と彼に言われ、「そんなことを言うのなら、就職の一つでも紹介するのが先輩というものでしょう!」と切り返したところ、1週間後に彼が『ヤングレディ』記者の仕事を持ってきたというのが就職の経緯である。このような縁で始めた仕事だったが、梨元は芸能リポーターは天職だと話す(先輩にも感謝していると話した)〔『ワイドショーよ永遠なれ!』、130~131頁。〕。 その後、長年に渡り精力的な活動を見せたが、2010年(平成22年)8月21日午前5時19分、肺癌のため東京都渋谷区の病院で死去。 本人が芸能ニュース担当として出演していたKBCラジオ『中村もときの通勤ラジオ』にて長女の眞里奈が語ったところによると、入院時には既に末期状態であったが、本人は肺癌の進行度を表すステージの意味すら知らず、医師からステージIVである旨の説明を受けても「ステージIVの上はあるのか」と家族に聞く状態だったと言う。入院中も前述の番組に出演するなど、亡くなる直前まで仕事をこなしていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「梨元勝」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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