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梨壺 : ウィキペディア日本語版
昭陽舎[しょうようしゃ]

昭陽舎(しょうようしゃ)とは、平安御所後宮七殿五舎のうちの一つ。女御などが居住した。また、円融天皇東宮時代に居住したとの記録が残り(『日本紀略)、その後東宮敦良親王(のちの後朱雀天皇)の頃東宮御所として定着した。
庭にが植えられていたところから、梨壺(なしつぼ)ともいう。内裏の北東に位置し、南北二棟がある。(北は昭陽北舎) 麗景殿の東、淑景舎(桐壺)の南。
昭陽舎を賜っていたのが知られる后妃は、
* 朱雀天皇女御・藤原慶子藤原実頼女)
* 村上天皇中宮藤原安子藤原師輔女、のち飛香舎に移転)
またこの他、
* 克明親王醍醐天皇皇子)
* 為平親王(村上天皇皇子)
* 資子内親王(村上天皇皇女)
なども曹司として居住し、資子内親王は天禄3年(972年)に藤花の宴を催した。
また皇太后藤原穏子(醍醐天皇中宮)はここで崩御した。
その他、村上天皇の宣旨により撰和歌所が置かれ、「梨壺の五人」が『後撰集』を編纂したことでも知られる。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「昭陽舎」の詳細全文を読む



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