|
うだつは、日本家屋の屋根に取り付けられる小柱、防火壁、装飾。本来は梲と書き、室町以降は卯建・宇立などの字が当てられた。 == 歴史 == 平安時代は「うだち」といったが、室町時代以降「うだつ」と訛った。本来は梁(うつばり)の上に立てる小さい柱のことを言ったが、そののち、自家と隣家との間の屋根を少し持ち上げた部分を「うだつ」と呼ぶようになった。桃山時代に描かれた洛中洛外図屏風にはうだつのある長屋が描かれている。桃山時代から江戸時代初期にかけては木製のうだつが存在するなど、当初は防火壁と言うよりも屋根が強風で飛んだりするのを防ぐ防風の意味合いや、また装飾的な意味合いが強かった〔川村善之 『日本民家の造形』 淡交社、2000年 p.28〕。 その後、隣家と接するケラバ(切妻屋根の両端)部分の壁を少し持ち上げ、独立した小屋根を乗せたものを「うだつ」と呼ぶようになった(本うだつ)。さらに、本うだつの下端が、平側の1階屋根と2階屋根の間の部分にまで張り出すようになり、その壁部分が小さい防火壁として独立し、これも「うだつ」と呼ぶようになった(袖うだつ)。 本来、町屋が隣り合い連続して建てられている場合に隣家からの火事が燃え移るのを防ぐための防火壁として造られたものだが、江戸時代中期頃になると装飾的な意味に重きが置かれるようになる。自己の財力を誇示するための手段として、上方を中心に商家の屋根上には競って立派なうだつが上げられた。 うだつを上げるためにはそれなりの出費が必要だったことから、これが上がっている家は比較的裕福な家に限られていた。これが「生活や地位が向上しない」「状態が今ひとつ良くない」「見栄えがしない」という意味の慣用句「うだつが上がらない」の語源のひとつと考えられている。 ファイル:Rakuchu rakugai zu byobu (Fukuoka City Museum)L.jpg|桃山時代の長屋のうだつ ファイル:Udatsu closeup.jpg|塗り籠めない木製のうだつ(本うだつ) ファイル:Udatsu Preservation.JPG|本うだつが防火性を高め、下部の壁が袖まで張り出す(袖壁) File:Udatsu_(protruding_walls)_in_Mima,_Tokushima,_Japan.jpg|江戸時代中期以降、うだつの袖部分が独立し、装飾性を高める(袖うだつ) File:うだつまる_0.jpg|平成時代、観光性を高め、ゆるキャラ化される(うだつまる) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「うだつ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|