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梶 和三郎(かじ わさぶろう、1903年 - 1983年11月6日)は、日本の教育者。元灘高等学校校長。 == 来歴・人物 == 香川県三豊郡上高瀬村(現 三豊市高瀬町)出身。旧制香川県立三豊中学校、東京高等師範学校数学科卒業。 三豊中学に進学後、中学校の教師になることを決意する。恩師の中井先生から数学教師になることを諭されて東京高等師範学校数学科に進学〔『中井虎男先生 志のぶ草』(香川県立観音寺第一高等学校同窓会)(1970年) 83頁〕。同高等師範学校を卒業後、1926年(大正15年)旧制愛媛県立大洲中学校に新任数学教諭として赴任。1927年(昭和2年)旧制神奈川県立湘南中学校に転任。1938年(昭和13年)から1941年(昭和16年)まで旧制群馬県立太田中学校教頭を務める〔『太田高校90年史』(群馬県立太田高等学校)(1987年)〕。 1948年(昭和23年)兵庫県立福崎高等学校、1950年(昭和25年)兵庫県立洲本高等学校、1954年(昭和29年)兵庫県立姫路東高等学校、1958年(昭和33年)兵庫県立星陵高等学校の校長を歴任〔『香川県人物・人名事典』(四国新聞社)(1985年) 26頁〕。1953年(昭和28年)4月6日に洲本高校野球部が第25回選抜高等学校野球大会で全国優勝を達成する〔『洲本高校の歴史<昭和時代>』 2013年7月12日閲覧〕。 1961年(昭和36年)9月に灘高等学校第3代校長に就任。1968年(昭和43年)3月に東京大学合格者がそれまでトップの座にあった都立日比谷高校を追い抜き全国1位(132名)となる。1971年(昭和46年)3月末に同高等学校を退職〔『灘校の歩み』 2013年7月12日閲覧〕。 1971年(昭和46年)4月から1973年(昭和48年)11月まで郷里香川県の上戸学園高等学校(現 香川西高等学校)校長を務めた〔『香川県人物・人名事典』(四国新聞社)(1985年) 273頁〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「梶和三郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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