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梶山季之 : ウィキペディア日本語版
梶山季之[かじやま としゆき]

梶山 季之(かじやま としゆき、1930年1月2日 - 1975年5月11日)は、日本の小説家ジャーナリスト週刊誌創刊ブーム期にトップ屋として活躍、その後『黒の試走車』『赤いダイヤ』などの産業スパイ小説、経済小説でベストセラー作家となり、推理小説時代小説、風俗小説などを量産するが45歳で死去。ルポライターとして梶季彦、少年向け冒険小説として梶謙介のペンネームがある。
== 人物 ==

===生い立ち===
土木技師の父が朝鮮総督府に勤務していたため、朝鮮京城で生まれた。五木寛之は南大門小学校の後輩である。子供の時から作家志望で、小学3年頃には科学冒険小説を書いて級友に読ませていた。1942年京城中学校入学。敗戦後引き揚げ両親の郷里、広島県佐伯郡地御前村(現廿日市市)で育つ。広島二中(現広島観音高)を経て広島高等師範学校国語科に入学。在学中に同人誌『天邪鬼』を創刊、後に地元の同人誌を糾合し広島文学協会を設立、同人誌『広島文学』に参加するなど精力的に活動した。また「中国新聞」学芸部の金井利博と知り合い、広島ペンクラブの設立、運営にも加わった。『天邪鬼』に一文を寄せていた作家原民喜の自殺に衝撃を受け、金井とともに原を記念する詩碑の建立に奔走した。
卒業後の1953年、家出同然にして上京。後を追って上京した同人誌仲間と8月に結婚。横浜鶴見工業高校の国語教師を務めた後、喫茶店の経営をしながら『新早稲田文学』『希望』などの同人誌で活動。1955年村上兵衛の紹介で三浦朱門らのいた『新思潮』(第15次)同人になり小説を書き、1956年『新潮』に同人雑誌推薦作品として「合わぬ貝」が掲載され、これが初めての商業誌掲載となった。一方、1958年にフリーライター専業となって『文藝春秋』『週刊新潮』などに記事を書くようになり、東京阿佐ヶ谷で喫茶店のあと経営していたバーをたたんで文筆一本でいくことを決意する。
週刊明星』の創刊から関わり、また「大宅壮一ノンフィクションクラブ」にも参加。1959年週刊文春』創刊に際しトップ屋グループ「梶山軍団」を作り名を売った。またこの時期「梶謙介」のペンネームで小学館の学年誌などに多くの冒険小説を書き、三谷晴美(瀬戸内寂聴)と双璧の人気と言われる。1958年には朝日放送にいた阪田寛夫の依頼でラジオドラマ脚本「ヒロシマの霧」「才女ブーム異変」「恋愛作法(吉行淳之介原作)」「外貨ブローカー(原作「振興外貨」)」を執筆し、「ヒロシマの霧」で1959年民放連盟賞優秀賞、同「蛸が茶碗を抱いていた」で1960年文部省芸術祭参加、1961年-62年の連続ドラマ「愛の渦潮」など64年頃まで執筆していた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「梶山季之」の詳細全文を読む



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