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棋待詔(きたいしょう)は、中国の唐以降で置かれた官職で、待詔のうち囲碁をもって仕える役職。その時代の囲碁の名手、国手と呼ばれる者などが務めた。 ==前史 旧王朝における囲碁== 後漢の時代には、史家の班固がもっとも古い囲碁論とされている「奕旨」を著し、学者の馬融が「囲棋賦」、文人の李尤が「囲棋銘」を著すなど、宮廷に仕える文化人で水準の高い愛棋家が現れた。晋では竹林の七賢の一人阮籍が愛棋家として知られ、官僚だった范汪による「棊品」ではこの時代の愛棋家たちの棋力が論評されている。南北朝時代には、宋の明帝が棋士を管轄する官庁囲棋州邑を設置し、梁の武帝も愛棋家で「棋賦」を残した他、棋手の柳惲に著名棋譜を評定する「棋品」をまとめさせた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「棋待詔」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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