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森下 整鎮(もりした のぶやす、1933年9月4日 - )は、福岡県八幡市(現:北九州市八幡東区)出身の元プロ野球選手(内野手)。 までの登録名は森下 正弘、からの登録名は森下 正夫。 == 来歴・人物 == 八幡高校2年生次のに春の甲子園に出場。中退してに南海ホークスの実質的な二軍の南海土建野球部に入部。同年末の南海土建野球部の解散を受けて、に南海ホークスに入団。「百万ドルの内野陣」のうち、飯田徳治、蔭山和夫、木塚忠助らがまだ現役だったが、二塁手・三塁手・遊撃手などをこなせるユーティリティープレイヤーだったこともあり、レギュラーを掴む。 からにかけて3年連続50盗塁を記録。1954年にはベストナイン、には盗塁王を獲得。アキレス腱切断という大怪我に3度見舞われたが、3度とも無事に復帰。盗塁数は減ったものの、しぶとい打撃で活躍し、に2度目のベストナインを獲得した。に現役引退。 引退後は南海、中日、大洋のコーチなど(中日時代のは二軍監督)、及び中京テレビの野球解説者を歴任。には台湾の兄弟エレファンツの副監督に就任。には当時の監督が退任したのを受けて、監督に昇格。台湾球界初の日本人監督としてチームを優勝に導き、最優秀監督(最佳総教練)も獲得。しかし、熱血過ぎてしばしばトラブル起こし、同年限りで退団。 現在はNHK名古屋放送局解説者(名古屋ローカルのみ)と大阪日刊スポーツ評論家を務める傍ら、2000年に少年野球チームの「愛知長久手ボーイズ 」を設立。総監督として野球少年の育成を手掛けている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「森下整鎮」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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