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森下泰[もりした たい] 森下 泰(もりした たい、1921年12月21日 - 1987年11月14日)は日本の実業家、政治家。大阪府大阪市出身。元森下仁丹社長・自由民主党参議院議員(3期)。 == 経歴 == 森下仁丹創業者森下博の孫。旧制甲南高校から京都帝国大学に進学するも、在学中の1943年3月に祖父の死去に伴い森下仁丹社長に就任。同年9月には戦争の激化に伴い大学を繰り上げ卒業し、海軍主計見習尉官に採用されて海軍経理学校に籍を置いた。 戦後復員すると東京帝国大学法学部に再入学し、社長業の傍ら大阪青年会議所の設立に奔走。1954年には日本青年会議所会頭を務めた。森下仁丹の社長としては、口中清涼剤だった「仁丹」から体温計・医薬品・製菓へと業容を拡大。1984年に長男・孝に社長職を譲るものの、業績不振から2年後に社長に復帰している。 政界へは、赤間文三死去に伴う参院補選に自民党公認で立候補した(1973年)のが最初。この時は落選したものの、翌年の参院選では全国区から出馬し、任期3年議員として初当選。2期目からは大阪府選挙区に鞍替えして死去までその座にあった。この間、福田赳夫内閣で環境庁政務次官を務め、参議院航空機輸入特別委員会委員長も歴任した。 妻・美恵子は、山科家・山科言綏の長女。リコー社長だった市村清の門下でもあり、同門の間柄であるサントリー二代目社長の佐治敬三(森下死去の際には葬儀委員長だった)、ダイキン工業三代目社長の山田稔とは長年の親友として知られた。また剣道を愛好していた縁から1958年より全日本剣道連盟代表ならびに理事を務め、1972年には大阪薬科大学の理事長も兼ねた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「森下泰」の詳細全文を読む
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