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森雞二 : ウィキペディア日本語版
森けい二[もり けいじ]

森 雞二(もり けいじ、1946年4月6日 - )は、将棋棋士。棋士番号100。高知県中村市(現:四万十市)出身。大友昇門下。元大相撲関取玉海力は甥。棋聖王位のタイトルを獲得。竜王戦1組通算5期。名人戦A級通算10期。
== 人物 ==

* 晩学で知られる。将棋を覚えたのが16歳の頃と遅かったが、近所の将棋クラブでひたすら将棋を指し続け、僅か半年でアマ三段の実力にまで上達する。森は「この期間は夜の11時まで夕食もとらずに将棋を指し続けた」と語っている。戦前はいざ知らず、森以降の世代で、これほどの「晩学」で名人位挑戦、タイトル保持まで進んだ棋士は他にいない。
* 終盤において強さを発揮し、「終盤の魔術師」と呼ばれる。
* 1978年、第36期名人戦中原誠に挑戦したが、「中原は強くない、負ける人はみんな勝手に転んでいるんだ」、「名人になったら土佐に帰る、指してほしい者は土佐に来ればいい」などと強気な発言をした。第1局の朝には突然剃髪して対局場に登場し、関係者を驚かせた(これに中原は動揺したのか第1局に敗北。全体では2勝4敗で中原の防衛)。ただ、森自身は「相手を驚かそうとしたのではなく、自らの心を引き締めるために剃髪になったのだ」と語っている。
 * なお、森が将棋人生で最初に坊主になったのは、奨励会時代に昇段がかかった一局で当時奨励会員だった蛸島彰子に負け、以後調子を崩して昇段を逃してしまったことを自ら戒めるために行ったのが最初だと、自著で述懐している。
* 1982年棋聖のタイトルを獲得する直前に小池重明指し込み三番勝負(角落ち、香落ち、平手)を行い、3連敗してしまった。当時の日本将棋連盟会長大山康晴はこれに怒り、森に高額の罰金を課したといわれる。
* 1988年、第29期王位戦に王位の谷川浩司の挑戦者として登場した際マスコミに、「身体で覚えた将棋を教えてやる」と発言し谷川を挑発。下馬評では当時名人だった谷川が有利との見方が大勢だったが、3-3で迎えた第七局、十八番のひねり飛車で谷川を破り、王位を獲得した。次期谷川がリターンマッチを挑む際「あれだけやられたのにまだ懲りないのですか」と再度挑発し話題となる(対局は1勝4敗と防衛失敗)
* 久々のタイトル戦登場となった1995年の第43期王座戦では羽生善治に挑戦したが、優勢な将棋を終盤で逆転負けする展開が続き、3連敗で敗退した。その際に、「魔術師が逆に魔術(羽生マジック)にやられた」とのコメントを残している。なお、2012年現在、昭和20年代以前に生まれた棋士がタイトル戦に登場したのはこれが最後である。
* 2006年3月、満59歳11か月にして順位戦B級1組に昇級。大きな話題を集めたが、1期で12戦全敗で降級してしまった。
* 将棋以外ではギャンブルを愛し、海外旅行時カジノに行くことを楽しみとする一面もある。また麻雀の強豪として知られており、大会優勝歴もある。「麻雀の神様」阿佐田哲也とも交友があった。他にもバックギャモンなどを愛好していて、その実力は将棋界随一である。
* 弟子に女流棋士の島井咲緒里里見香奈がいる。里見は森が得意としている中飛車を得意戦法にしている。
* 先崎学は十代の頃森の将棋に心酔し集中的に並べたという。プロになった先崎は、当時低迷していた森との対局に当たって坊主頭で現れた。ただし、河口俊彦に「彼は君と指せるからというので坊主になってきたんだ。しっかりやれよ」と教えられるまで森本人すら「なにか坊主にならないといかんようなまずいことをしたんだろう」としか思っていなかったという(河口「人生の棋譜 この一局」新潮文庫)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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