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棲霞山石窟(せいかざん せっくつ)は、中国江蘇省南京郊外の北東22キロに位置する棲霞山(摂山)西麓にある仏教石窟。別名、千仏巌。また、附近には、明代に造営された天開巌も存在する。 == 概要 == 栖霞寺背後の砂岩質の岩壁を造営した石窟群であり、南朝の南斉以後に江南地方で営まれた石窟で、遺例が少ないため資料的価値が高い。 栖霞寺を開創したのは、南斉の処士・明僧紹である。法度を招請して建立し、その後、三論宗の僧朗や僧詮、吉蔵といった諸祖と称せられる名だたる学僧が住した。故に、この地は、三論宗の発祥地とも呼ばれている。 寺の方は、寺名が唐代以後に、功徳寺、棲霞寺、普雲寺、虎穴寺と変遷し、明代の初めに栖霞寺と変わり、以後、現在に至っている。 石窟に関しては、唐の上元3年(676年)に造立された「明徴君碑」に関連する記述が見られる。それによれば、石窟を造営したのは、明僧紹の子に当たる明仲璋や法度らである、という。また、本尊に相当する無量寿仏像は、梁の天監15年(516年)に、臨川王蕭宏が建立した、とする。 一方、『摂山志』には、陳の江総による文章が収められている。 中央には、北面した石窟(幅8.18m、深さ6.67m)が穿たれ、その中に無量寿仏像を安置している。その仏像を中心として、小規模な石窟が北東方向に4窟、西側に20窟が確認できる(幅3.64m、深さ3 - 0.9m)。三尊仏や十六羅漢・金剛力士・四天王像などが彫られている。 この石窟は砂岩質のため、岩質が脆く、摩滅が著しい。また、入り口部分などは後世の補修がされている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「棲霞山石窟」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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