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植木繁晴[うえき しげはる]
植木 繁晴(うえき しげはる、1954年9月13日 - )は、神奈川県川崎市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィルダー、フォワード。 == 略歴 == 神奈川県立新城高等学校、日本大学を経て、1977年に日本サッカーリーグ(JSL)のフジタ工業(現-湘南ベルマーレ)に入部。フジタ工業の3度のJSL優勝、2度の天皇杯制覇に貢献した。 1988年限りで現役引退後はフジタ工業のコーチ、Jリーグ入りを目指してフジタから名称変更されたベルマーレ平塚のサテライト監督を歴任、1995年には監督代行を務めた。この年のアジアカップウィナーズカップで優勝し12月にアジア月間最優秀監督に選ばれた。1996年の途中には前任のトニーニョ・モウラの辞任を受けベルマーレ平塚監督に就任、1998年まで務めた。当時FWとして起用されていたプロ2年目の中田英寿を、トップ下にコンバートしたのは植木である。 1999年からは2000年まではモンテディオ山形の監督を務めるが、ここでは目立った成果を出せずに終わる。2004年は当時JFL所属だったザスパ草津の監督を務め、3位となって目標のJリーグ参入を果たした。2005年は草津のGM補佐となっていたが、2006年から監督に復帰、さらに大西忠生社長兼GMが急死したためにシーズン途中からGMも兼務。J初年度に3勝しか挙げられなかったチームに少しずつプロ意識を植え付け、3年目の2008年にはシーズン中盤までJ1昇格争いに絡むなど、地道な強化に成功した。この年限りで草津監督を勇退。 2009年よりザスパ草津の取締役兼ゼネラルマネージャーに就任。2011年4月より代表取締役兼ゼネラルマネージャー。2014年2月まで務めた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「植木繁晴」の詳細全文を読む
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