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植村家壷[うえむらかつぼ]
植村 家壷(うえむら いえひろ)は、大和高取藩の第14代(最後)の藩主。 弘化4年(1847年)10月15日、播磨山崎藩主・本多忠鄰の六男として生まれる。慶応3年(1867年)12月5日、第13代高取藩主・植村家保の養子となる。明治元年(1868年)閏4月14日、家保の隠居にともない家督を継いだ。明治2年(1869年)2月から藩政改革に着手する。6月17日に版籍奉還により、植村藩知事に任じられる。明治4年(1871年)7月14日の廃藩置県で免職され、9月に東京へ移った。明治17年(1884年)7月8日、華族令により子爵となる。明治25年(1892年)9月、御陵墓守長となる。 大正9年(1920年)6月29日に死去した。享年74。 == 血縁 == 植村氏の女系子孫である。 :植村氏義―本多忠高室―本多忠勝―本多忠政―国姫(有馬直純室)―有馬康純―有馬清純―有馬一準―有馬孝純―本多忠可―本多忠居―本多忠鄰―植村家壺
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「植村家壷」の詳細全文を読む
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