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植松精一 : ウィキペディア日本語版
植松精一[うえまつ せいいち]

植松 精一(うえまつ せいいち、1955年10月10日 - )は、静岡県富士市〔プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、78ページ〕出身の元プロ野球選手
== 来歴・人物 ==
静岡高校では1973年夏の甲子園中堅手として出場。2年生エース秋本昌宏(亜大)を擁し、水野彰夫(法大)、白鳥重治(早大日産自動車)とクリーンアップを組み、順調に勝ち進む。決勝では佃正樹投手を擁する広島商と対戦するが、9回裏2-3xでサヨナラ負け、準優勝にとどまった〔。高校通算本塁打は36本だが、当時はまだ木製バットしか使われていなかったということを考えると驚異的な記録であることが伺える〔。
法政大学に進学し江川卓袴田英利金光興二島本啓次郎らと四連覇を含む5回の東京六大学リーグ優勝に貢献し法政黄金期を創った。リーグ通算90試合出場、306打数84安打、打率.275、3本塁打、34打点。ベストナイン2回。
1977年ドラフト2位で阪神タイガースに入団。一年目から104試合に出場、二番打者への定着が期待されたが打撃面で伸び悩む。翌年は春のキャンプで左足肉離れになるなど怪我がちになり、先発出場からも外れた。1983年オフ自由契約〔。
引退後は郷里の静岡に戻ったが、その関係で西暦奇数年に草薙球場で開催される「巨人対阪神OB戦」には必ず出場している。
ちなみに、静岡高校の1年後輩に「電波少年シリーズ」(日本テレビ)プロデューサーの土屋敏男がいる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「植松精一」の詳細全文を読む



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