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朝鮮の歴史観[ちょうせんのれきしかん] 朝鮮の歴史観(ちょうせんのれきしかん)では、朝鮮の歴史観について説明する。日本統治期における朝鮮人による歴史学には、民族史学(民族史観)、社会経済史学(唯物史観)、実証史学という3つの大きな流れがあり〔康成銀「植民地期の朝鮮人史学者たち 上」 朝鮮新報 2008年7月4日〕、日本から見た朝鮮史観(いわゆる「植民史観」)と対立していた。独立後は韓国では実証史学が、北朝鮮では唯物史学がそれぞれ主流となったが、韓国の歴史学界の外では民族史学(民族主義史観)が政治やメディアに影響を与えており、歴史学界でも民族史学と実証史学の論争が起きている。 == 植民史観 == 植民史観(しょくみんしかん、식민사관)は、日本統治時代に内地で主流だった歴史観であるが、日本の植民地支配を正当化する目的で作られたとして批判する側から、植民史観または植民地史観(しょくみんちしかん)と呼ばれる。主に問題とされるのは、日鮮同祖論、他律性論、停滞性論、党派性論などである〔鄭銀淑「一気にわかる朝鮮半島」p16 植民地史観とは何か?(池田書店、2003年10月)〕〔金仙煕「韓国における「歴史叙述」の問題―林泰輔『朝鮮史』の受容を中心に―」 p140〕。 他律性論(たりつせいろん)とは、朝鮮の歴史は、常に外部の勢力によって他律的に動かされてきたという主張である。檀君を否定し、箕子朝鮮、衛氏朝鮮、漢四郡など朝鮮の出発点を中国の支配に置き、以後も中国の属国であったとする。また、朝鮮半島南部では、日本が任那を支配していたとする〔李萬烈「近現代韓日関係研究史―日本人の韓国史研究を中心に―」p.247〕。 停滞性論(ていたいせいろん)とは、朝鮮の歴史は、日本のような中世の封建制がなく、古代のまま停滞しており、日本の平安時代のレベルに止まっているとするもの。福田徳三は、20世紀初めの朝鮮の経済を「借金的自足経済」とし、日本や欧州より1000年以上遅れているとした〔李萬烈「近現代韓日関係研究史―日本人の韓国史研究を中心に―」p.249〕。 党派性論(とうはせいろん)とは、朝鮮民族は党派性が強く、不毛な党争ばかり続けていた、とするもの。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「朝鮮の歴史観」の詳細全文を読む
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