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椿台の大会戦 : ウィキペディア日本語版
椿台の大会戦[つばきだいのだいかいせん]
椿台の大会戦(つばきだいのだいかいせん)は、戊辰戦争の中の秋田戦争における羽後国河辺郡椿台付近での戦闘である。一連の戦闘の中で庄内藩軍が初めて大敗北を喫した。
==経緯==
庄内軍が進撃してくるのを聞いた新政府軍は、久保田藩の支藩である久保田新田藩の陣屋がある椿台とその付近の丘陵に強固な陣地を築き、最後の防衛線とした。
明治元年(1868年)9月10日に、庄内軍四番大隊は椿台攻撃を開始し、糠塚山を占領し、安養寺から椿台・椿川方面に攻め込んだ。新政府軍は一進一退で持ちこたえた。
9月11日に、鹿児島藩を中心に、福岡藩佐土原藩新庄藩、久保田藩、矢島藩本荘藩(本庄藩)などの連合軍が反撃を開始した。新庄藩や久保田藩は新式銃を支給されて強力になっていた。午後に糠塚山は奪取されて、その後庄内軍は追撃され、夕方には雄物川をまた渡って神ヶ村まで後退した。庄内軍の戦死者は15名、負傷者は81名になり、庄内藩の一日の被害では最大の被害を出した大敗北になってしまった。
遅れて12日に庄内軍の三番大隊が長浜を攻撃したが、椿台にいた新政府軍が長浜に投入されたために、庄内軍の攻撃は失敗に終わった。
9月14日に峰吉川にいた庄内軍二番大隊は、羽州街道を南下してきた新政府軍を迎撃する予定であったが、指揮官の酒井吉之丞の体調が悪かったので、一番大隊が攻撃することになった。
上山藩玉造権左衛門が、一番大隊の隊長松平甚三郎と共に二番大隊の本営を訪れて、12日に米沢藩の指示により上山藩が新政府軍に恭順したので引き上げることを告げた。
上山藩の使者が帰った後、一番大隊の松平甚三郎と二番大隊酒井吉之丞は、各小隊長を集めて、軍議を開いた。そして庄内藩領に帰国して、庄内藩の本土防衛戦に徹することを決断した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「椿台の大会戦」の詳細全文を読む



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