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楊保宗[よう ほそう]
楊 保宗(よう ほそう)は、後仇池の第4代君主。父は楊玄〔三崎『五胡十六国、中国史上の民族大移動』、P146〕。兄に楊保顕〔。弟に楊保熾、楊文徳〔。 == 略歴 == 429年に父が死去したため跡を継いだが、すぐに叔父の楊難当に背かれて廃された〔三崎『五胡十六国、中国史上の民族大移動』、P145〕。432年には叔父の命令で現在の甘粛省の鎮守に出されたが、すぐに叔父に反乱を起こした〔。しかし失敗して捕らえられ、435年に許されて董亭(現在の甘粛省天水市)の鎮守に出されたが、兄の楊保順と共に北魏に亡命した〔。 後に叔父が大秦王を号して独立し北魏領の上邽を攻撃すると〔、北魏は楊保宗を上邽に鎮守させて防がせた〔。442年に後仇池が滅びた後の443年4月、北魏に謀反を起こそうとして捕らえられ、処刑された〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「楊保宗」の詳細全文を読む
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