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楊国忠[よう こくちゅう] 楊 国忠(よう こくちゅう ? - 756年7月15日)は、唐代玄宗朝の権臣。名は釗(しょう)。楊貴妃と曾祖父(別の説では祖父)が同じで又従兄に当たる。なお、武則天時代に佞臣と言われた張易之の姉妹の子とも言われる。 ==生涯==
=== 出世への道 === 蒲州(ほしゅう)永楽(山西省芮城県)の出身。 学問を好まずに酒とばくちを好み、行いが定まらず、一族の嫌われ者であったが、30歳の時に蜀地方軍に入り、軍功を挙げて新都県尉に任命された。任期が終わった後、困窮して蜀地方の富豪・鮮于仲通に資金を提供してもらっていた。遠縁のおじ・楊玄淡(楊貴妃の父)の死後、その家に行き、娘の一人(楊貴妃の姉・後の虢国夫人)と私通していたという。 楊貴妃が貴妃に冊された天宝4載(745年)頃、剣南節度使の章仇兼瓊が長安にいる楊貴妃の一族と結ぼうとした。鮮于仲通の紹介で彼と会い、容貌がすぐれて弁舌が立つため、気に入られて多くの財貨を与えられ、長安への使いとなった。一族に会い、財貨をばらまいて、寡婦となっていた虢国夫人の家に入る。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「楊国忠」の詳細全文を読む
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