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楊皙 : ウィキペディア日本語版
楊皙

楊晳(よう せき、生没年不詳)は、(契丹)の政治家。楊績、あるいは楊哲とも書かれる。は昌時。本貫幽州安次県
== 経歴 ==
幼くして五経の大義に通じた。聖宗は楊晳が聡明であると聞いて、詩作を課して試験し、秘書省校書郎に任じた。太平11年(1031年)、進士乙科に及第して、著作佐郎となった。
重熙12年(1043年)、枢密都承旨に累進し、度支使をつとめた。南院枢密副使に進んだ。19年(1050年)、杜防韓知白らと争って、長寧軍節度使に左遷され、知涿州にうつされた。山西路転運使となり、知興中府をつとめた。清寧元年(1055年)、参知政事・同知枢密院事に任じられた。南府宰相となり、姚景行とともに朝政を総覧した。趙国公に封じられた。9年(1063年)、耶律重元の乱が起こると、姚景行とともに道宗を助けた。10年(1064年)、足の病を理由に、再び知興中府として出向した。咸雍元年(1065年)、召還されて知枢密院事となった。斉国公に徙封され、同徳功臣の称号を賜り、尚書左僕射・中書令となった。2年(1066年)、致仕を願い出たが許されず、南院枢密使に任じられ、晋国公に改封された。8年(1072年)、趙王に封じられた。
たびたび引退を願い出てようやく許可され、保節功臣の称号を賜って致仕した。太康5年(1079年)、遼西郡王に改封された。守太保の位を加えられ、死去した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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