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楠田浩之 : ウィキペディア日本語版
楠田浩之[くすだ ひろし]

楠田 浩之(くすだ ひろし〔楠田浩之 、『講談社 日本人名大辞典』、講談社コトバンク、2010年2月26日閲覧。〕、1916年4月14日 - 2008年9月13日〔)は、日本の撮影技師である。名の読み「ひろゆき」は誤りである〔。
== 人物・来歴 ==
1916年(大正5年)4月14日東京府東京市(現在の東京都)に生まれる〔。
旧制・京華中学校(現在の京華高等学校)を卒業する〔。1934年(昭和9年)、松竹蒲田撮影所に入社、撮影部に配属されて撮影助手となる〔。小原譲治厚田雄春らに師事する〔楠田浩之、日本映画データベース、2010年2月26日閲覧。〕。1936年(昭和11年)、撮影所が蒲田から新設の松竹大船撮影所に引越し、楠田も異動になる〔。
1943年(昭和18年)、技師に昇進し、木下恵介監督の第1作『花咲く港』で、木下とともに一本立ちする〔〔。以降、1951年(昭和26年)の日本最初のカラーフィルムによる長篇劇映画『カルメン故郷に帰る』、『二十四の瞳』(1954年)、『野菊の如き君なりき』(1955年)等、キャリアのほとんどが木下作品で埋め尽くされる〔〔。
1959年(昭和34年)、木下恵介監督の『楢山節考』で芸術選奨を受賞する〔。
2008年(平成20年)9月13日、死去した〔。満92歳没。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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