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横浜歌謡ショー将棋倒し事故 : ウィキペディア日本語版
横浜歌謡ショー将棋倒し事故[よこはまかようしょーしょうぎだおしじこ]

横浜歌謡ショー将棋倒し事故(よこはまかようショーしょうぎだおしじこ)は1960年横浜市で発生した群集事故である。
== 概要 ==
1960年昭和35年)3月2日、ラジオ関東(現:アール・エフ・ラジオ日本)は開局1周年を記念する公開録音ショーを神奈川県横浜市中区横浜公園体育館で開催する事としていた。
会場となった横浜公園体育館の定員は3,500名(立ち見を入れても4,000名)だったが、主催するラジオ関東は「無料招待券を受け取っても、実際には来ない者が大勢いるだろう」と判断し、定員の2倍を越える8,000枚以上の無料招待券を配布していた。しかし予想に反し、招待券を受け取った者の大半が実際に来場した。
体育館へは、正面入口と北側入口にそれぞれ2列ずつ希望者を並ばせ、午後5時30分より入場を開始した。ほどなく館内は満席となり、なお外にいる入場希望者全てを収容する事は無理な状況なので、会場の入口ではアルバイトの警備員などが「もう館内は満席で、これ以上は中へ入れません」と館内の事情を説明し、入場を阻止しようとした。
しかし、無料招待券を手にした多数の希望者達は「入場券を持っているのだから早く中へ入れろ」と警備員相手に騒ぎ立てるなどした。そして午後5時45分頃、会場内へ無理やり入ろうして北側入口で将棋倒しが発生。約100名が巻き込まれて圧死12名、重傷者8名、軽傷者多数を出した〔第034回国会衆議院本会議議事録第11号 〕。
この事態に横浜市内の中、南、磯子の各消防署から救急車が出動し怪我人を警友病院横浜中央病院、花園橋病院、国際親善病院、大仁病院などに搬送した。またこれだけでは足りず、警察車両や通りすがりのタクシーなども動員された。
神奈川県警察本部は、事故後の午後7時より、現場検証と共に関係者の取調べを開始した。それによると、北側入口は観音開きのドアが付いた横幅3mの狭い入口であり、しかも事故発生当時は、入場者を制限するため、2枚のドアのうち1枚を閉鎖していた事が判明した。ドアの下には縁石が段差になっており、ここに足を取られて転んだ事が、将棋倒しの原因になったと推定された。
この公開録音ではラジオ関東の社員10名、アルバイト学生25名、そして加賀町警察署警官19名が警備に当たっていたが、事故の発生を防ぎ切れなかった。事故後、加賀町警察署の次長は読売新聞の取材に対し、「主催者(ラジオ関東)からの届出では、来場者数は4千人程度との事で、その数なら混乱は発生しないと判断し、特に警備を通常より増員する事などしなかった」とコメントしている。
予想以上の人数が押しかけた原因として、出演者が林家三平島倉千代子青木光一若山彰など、当時の日本の芸能界を代表するような豪華メンバーだった事があげられる。死者の中には横浜造船所の社宅に住む親子3名(母親と子供2名)などもいた。この事故により、公開録音ショーは中止された。
事故発生後、ラジオ関東はその日の夜の番組の放送を全て中止し、事故の詳細について報じた〔読売新聞 1960年3月3日朝刊参照〕。また、磯野庸幸社長の名で翌日(3月3日)の読売新聞などにお詫び広告を出している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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