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櫛部武俊 : ウィキペディア日本語版
櫛部武俊[くしべ たけとし]
櫛部 武俊(くしべ たけとし、1951年〔「そこが聞きたい 生活困窮者自立支援法」毎日新聞2013年12月18日12頁(櫛部へのインタビュー記事)〕 - )は、日本の社会運動家。元釧路市職員(ケースワーカー)。釧路社会的企業創造協議会副代表。
北海道富良野市出身〔。北星学園大学文学部社会福祉学科卒業。1975年に釧路市職員に採用される〔~貧困と社会福祉~貧困問題の創造的実践を考える~37 年福祉現場に身を置いて - 日本社会福祉学会第61回秋季大会(2013年9月)における本人によるシンポジウム資料(PDF文書)〕。当初障害児施設に勤務〔。1988年より保護課に異動。以後、生活保護を受け持つ業務を担当する。1990年代以降、釧路市では産業構造の変化に伴い、生活保護世帯数が増加した〔〔釧路市における生活保護受給者自立支援の取り組みについて - 正木浩司(自治労北海道本部・社団法人北海道地方自治研究所)第7回愛知自治研集会資料〕。その状況下で、2004年より厚生労働省による生活保護者自立支援プログラムのモデル事業を釧路市で実施することとなり、生活福祉事務所主幹としてこれに携わった〔。櫛部は「親や子どもの自助努力に問題を転嫁させないアプローチの創造が必要であることを学んだ」と述べている〔。この釧路市の取り組みは全国的な注目を集め、櫛部はその中心的な役割を担った人物と認識されることになった〔高橋祐吉「釧路調査覚え書き-自立支援、「中間的就労」、そして働くということ-」『専修大学社会科学研究所月報No.582』、2011年12月、pp.26 - 58〕。2011年に釧路市を定年退職後は一般社団法人の釧路社会的企業創造協議会の副代表に就任。その一方で、「生活保護の専門家」として朝日新聞生活保護受給者と生きる 櫛部武俊さんに聞く - 朝日新聞デジタル2012年12月14日〕や北海道新聞〔「生活保護の現場から 4受給者の実像」北海道新聞2013年5月13日夕刊〕・NHKテレビ『視点・論点』〔生活保護制度見直し(2)希望の持てる自立と支援 - 2012年11月27日放映(NHK解説委員室・解説アーカイブス)〕・毎日新聞〔等のメディアにコメント・寄稿をおこない、厚生労働省の「生活保護受給者の社会的な居場所づくりと新しい公共に関する研究会」委員(2010年)や「生活困窮者の生活支援の在り方に関する特別部会」委員(2012年~)といった役職に就任している。
== 脚注 ==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「櫛部武俊」の詳細全文を読む



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