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歌舞伎町ビル火災(かぶきちょうビルかさい)とは、2001年(平成13年)9月1日に東京都新宿区歌舞伎町の雑居ビル「明星56ビル(みょうじょう56ビル)」で起きた火災。44名が死亡し、日本で発生した火災としては戦後5番目の被害〔戦後、多くの犠牲者を出したビル火災は、1972年の千日デパート火災、1973年の大洋デパート火災、1980年の川治プリンスホテル火災、1982年のホテルニュージャパン火災がある。〕となった。多くの死傷者を出した原因は、ビル内の避難通路の確保が不十分であったためとされる。出火原因は放火とみられるが、現時点では未確定である。 == 概要 == 居合わせた客と従業員のうち、3階の19名中16名、4階の28名全員の計44名が死亡、3階から脱出した3名が負傷した。 出火地点はビル3階のゲーム麻雀店「一休」で、エレベーター付近から出火。ビル3階と4階のセクシーパブ〔一部でキャバクラと報道されているが、セクシーパブは一般的なキャバクラとは業態が異なる。セクキャバともいう。なお、朝日新聞等では飲食店と表現していた。〕「スーパールーズ」の防火扉が開いていたため〔酒瓶やおしぼり、さらにはモップなどで階段が塞がれていたため、防火扉は作動する状態でなかった。〕、この2フロアに火炎と特に煙の回りを早めたことが、被害を拡大させる一因となった。44名全員が急性の一酸化炭素中毒で死亡したことが、それを表している。 4階(セクシーパブ)での犠牲者には、外国為替保証金取引(FX)会社であったひまわり証券の営業社員3名が来店客として含まれていたため、従前から主に金融知識の乏しいお年寄りを狙って、強引な営業手法で利益を上げていた同社に対して「バチが当たった」といったような報道が一部の週刊誌等を中心になされた。また、同じフロアで三和銀行((当時)現:三菱東京UFJ銀行)行員も1名死亡している。 この事件では、内部で既に火災が起こっていたところに従業員の1人が何も知らず扉を開けてしまい、空気が入ってきたためバックドラフトが引き起こされた。この従業員は道路側の非常口からそのまま飛び降り、この救急要請の通報が第一報であった〔この従業員は「お客さんが中にいる」と言って、ふらつきながら店内に戻ろうとしたところを通行人に止められている。〕。また、従業員2人は別の窓から屋根伝いに脱出した。3階ゲーム麻雀店で助かった3名は、事務所の窓から脱出した従業員であり、従業員という立場でありながら避難誘導しなかった。また、この際目撃証言から「4人目」の生存者がいたとされるが、この人物はその後行方をくらました。 自動火災報知設備は設置されていたが、誤作動が多いために電源が切られていた。また、4階は天井を火災報知機ごと内装材で覆い隠してしまっていた。 避難器具は、3階には未設置で、4階には設置されていたものの実質的に使用できない状態であった。 この種の雑居ビル火災として、1973年5月28日に第6ポールスタービル火災(死者1名)がある。現場が同じ歌舞伎町で、違法な内装、防火管理の不徹底などで東京消防庁から警告されていた点が類似する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「歌舞伎町ビル火災」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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