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歐陽修 : ウィキペディア日本語版
欧陽脩[おうよう しゅう]

欧陽 脩(おうよう しゅう、欧陽修とも、1007年6月21日 - 1072年)は、北宋仁宗から神宗期の政治家詩人文学者歴史学者永叔醉翁六一居士と号す。謚号は文忠唐宋八大家の一人。
== 生い立ちと政治上の事跡 ==

吉州廬陵(現在の江西省吉安県)の人とされるが、出生地は父の任地の綿州(現在の四川省綿陽市)である。数え年四歳で父を失い、以降随州で育った。正規の教育によらず自学自習で、1030年天聖8年)進士に及第、包拯を継いで、開封府尹の任に就く。高官への途が開けたが、この環境で培われた独立不羈の思想は、彼の特質のひとつであり続けた。以後、館閣校勘等を歴任するが、1036年景祐3年)、改革派の范仲淹を越権してまでも弁護したため、夷陵県令に左遷された。
約10年の地方勤務後、中央に返り咲き諌官に任ぜられ、范仲淹らと慶暦の改革を進めるも、仁宗の不興を買い、1045年慶暦5年)には誹謗されて滁州安徽省)の知事に再び左遷された。
数年を経て、再び中央に返り咲き、翰林学士等要職を歴任。1057年嘉祐2年)権知礼部貢挙に上り、科挙試験を監督、蘇軾を見いだす。その後、枢密副使参知政事(副宰相)に至り、蘇洵王安石を登用した。王安石の新法を早くから支持していたが、実際に新法が実施されてみると、逆に青苗法に対してきびしい論考を張るなど、最も強力な反対派の1人になり、そのまま政界を引退した。引退翌年の1072年熙寧5年)、隠棲先である潁州(安徽省)にて没した。〔伝記研究に小林義広 『欧陽脩 その生涯と宗族』 創文社、2000年、ISBN 978-4423450055〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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