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毛内茂粛[もうない しげとし]
毛内 茂粛(もうない しげとし)は、江戸時代中期の弘前藩の武士。 == 生涯 == 宝暦8年(1758年)、父義巧が閉門となり、家督300石を継ぎ、手廻組。明和5年(1768年)に目付、同6年(1769年)に諸手足軽頭となる。安永8年(1779年)に持筒足軽頭となり、天明2年(1782年)にお役御免となった。長男茂幹に家督を譲り、隠居した。天明4年(1784年)、天明の大飢饉が発生すると、隠居の身ながら藩士の土着政策を発案し、10月11日藩主津軽信明に直談判した。深夜まで及ぶ談判は大きく感銘を与え、寛政4年(1792年)8月土着政策は実行された。そして、増館組水木村に土着した。その屋敷は「拳長亭」「拳長館」と呼ばれた。積極的に農作業に励み、死ぬまで晴耕雨読の生活を続けた。菅江真澄などとも親交があった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「毛内茂粛」の詳細全文を読む
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