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毛利元倶[もうり もととも] 毛利 元倶(もうり もととも、天正13年(1585年) - 正保2年3月14日(1645年4月10日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。長州藩一門家老である右田毛利家の2代。 毛利元政(天野元政)の子。正室は宍戸元続の娘。子は毛利元法、秋里元平、天野就常がいる。通称は忠三郎、主膳、山城。弟に天野氏名跡を継いだ天野元雅、天野元嘉、阿曽沼氏の1家督を継いだ阿曽沼元信がいる。 == 生涯 == 天正13年(1585年)、天野元政の子として生まれる。 寛永2年(1625年)、藩内の領地替えにより三丘から佐波郡右田に移る。そのため右田毛利家と呼ばれ、宍戸家に次ぐ一門家老第二席の家格となる。元倶は藩主・毛利秀就に仕え、加判役、御国留守居を務めた。寛永5年(1628年)、領内に郷校「時観園」を設立して学問を振興した。寛永12年(1635年)、家督を嫡男元法に譲り隠居する。 正保2年(1645年)3月14日死去。享年61。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「毛利元倶」の詳細全文を読む
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