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毛利元包 (吉敷毛利家)[もうり もとかね] 毛利 元包(もうり もとかね、慶長12年(1607年) - 延宝4年(1676年))は、吉敷毛利家の3代当主。吉敷入りした最初の当主。 毛利元鎮の嫡男。母は穂井田元清の娘。正室は堅田元慶の娘。継室は福原元俊の娘。娘は毛利就直の正室。通称は喜太郎、別名に元房、官途は兵部、佐渡、石見。 == 生涯 == 慶長12年(1607年)父元包の知行地殿居村で生まれる。1613年(慶長18年)、父とともに阿川八幡宮を修築した。 寛永2年(1625年)父の隠居により家督相続。同年家中の知行地再編により、当時藩執政を務めていた母の兄毛利秀元の意向で、藩主が参勤交代で通行する街道・萩往還の後背の要地吉敷郡吉敷に移り、以降通称吉敷毛利家と呼ばれ、代々藩の一門家老を務めた。また、一族の菩提寺黄龍山玄済寺を吉敷に移している。寛文11年(1671年)病のため隠居して家督を婿養子の就直に譲った。延宝4年(1676年)に死去、享年70。
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