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毛利元景[もうり もとかげ]
毛利 元景(もうり もとかげ、天正3年(1575年) - 寛永8年8月9日(1631年9月5日))は、長州藩一門家老である阿川毛利家の2代。 父は毛利元氏。正室は小早川秀包の娘。子は毛利就方、児玉元征室。通称は少輔三郎、飛騨守。別名に繁沢元景。 == 生涯 == 天正3年(1575年)、仁保元棟(後の毛利元氏)の長男として生まれる。天正15年(1587年)、父の元氏が繁沢氏を相続したため、繁沢元景と名乗る。慶長18年(1613年)、毛利氏を名乗ることを許される。慶長19年(1614年)、大坂冬の陣の際に、徳川家康から毛利家に摂津江口に堤を築くよう命が下り、その普請の監督にあたる。寛永2年(1625年)、父の隠居により家督を相続する。同年、玖珂郡椙杜から豊浦郡阿川に知行替えとなる。以後、代々阿川領主・長州藩一門家老を務めた。 寛永8年(1631年)8月9日死去。享年57。家督は嫡男の就方が相続した。墓所は山口県長門市深川の大寧寺。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「毛利元景」の詳細全文を読む
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