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毛利名人(もうりめいじん、1966年9月7日 - )または毛利永世名人(もうりえいせいめいじん)は、日本のゲームライター、編集者。本名は毛利公信(もうりきみのぶ)。東京都渋谷区出身。 == 概要 == 『スターフォース』でのキャラバン(会場は札幌のデパート)が名人としてのデビュー。1日で約700人も集め、当日だけで『スターフォース』を500本近く売り上げた〔リラックス2003年4月号〕。 ファミコン名人で高橋名人に次ぐ人物として知られる。野性味あふれるキャラクターを押し出していた高橋名人に対し、毛利名人はすらりとした体躯もあいまって理論派的な印象のキャラクターに設定されていた(「力の高橋、技の毛利」と言われた〔コロコロ爆伝!!1977-2009 P.348〕)。1986年には高橋名人との対決を描いた映画『GAME KING 高橋名人VS毛利名人 激突!大決戦』に主演。 高橋名人の16連打に対し毛利のそれは14連打(実際は9〜10連打とも)と数は劣るものの高橋よりも命中率が高く(高橋の命中率が80%であるのに対し毛利は90%)互角の実力と紹介された。 ハドソンは『チャンピオンシップロードランナー』全面クリア達成者にナンバー入りのゴールド認定証を発行していたが、毛利名人はその3000人目の達成者である。当時、同作品の広告に顔写真付きで紹介されたことがある。以後、同社のゲーム大会などに名人(司会者も兼ねる)として出演。大会の全国キャラバンでも西日本を高橋名人、東日本を毛利名人が担当するなど、高橋とほぼ同格の扱いを受けるようになった。 テレビ東京系『ファミっ子大集合』内の「ファミっ子チャレンジランド」のコーナーにて、難易度の高い『忍者龍剣伝』を挑戦者である当時の小学生9人相手にもかかわらず、あっさりと放送時間内(放送収録時間内)に一人だけ全面クリアするという離れ業を数回やるほどの腕前。『悪魔城ドラキュラ』でも最低装備でボスのドラキュラを無傷で倒す離れ業を披露した。 グランツーリスモシリーズなど、車ゲームが得意なのはゲーム界で有名であり、20代で購入した〔ベストカー誌2010年3月10日号の記事に拠れば、現在も所有する348tbは、25歳時にそれまでに貯めた自らのギャラ(ピーク時には千万円台の年収があった)で新車購入、以降大切に維持している。なお、自宅兼オフィスにはゲームとクルマ関連のグッズしか置いていない。〕愛車フェラーリを現在も大事にしていることからこの手のジャンルには一際熱心に攻略をし続けていた。 東京理科大学在学中からファッションには無頓着で、ジーンズの中に襟付きシャツを入れるスタイルを好んでおり、今に至る。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「毛利名人」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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