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毛利正恒 : ウィキペディア日本語版
毛利正恒[もうり まさつね]
毛利 正恒(もうり まさつね、生年不詳 - 明和5年2月19日1768年4月6日))は、江戸時代中期の薩摩藩武士池坊華道家毛利正周の四男で、分家する。「大石兵六夢物語」の作者である毛利正直の大叔父。父より立花生花の法を皆伝する。御書院御茶道を勤めて毛利春意と称し、後に御同朋となり圓阿弥とす。のちに書院役人同朋に進む。宝暦10年6月当時の石高は43
は正恒で通称は八兵衛。
生年不詳であるが、元禄6年に次兄の毛利正治が生まれており、正恒の誕生はこれ以降と思われる。宝暦6年10月に前年に幼少で藩主になった島津重豪の国目付として江戸幕府より派遣された京極高主らに、この年10月に改められた分限帳が提出されるが、この分限帳に「書院役人同朋 48俵 毛利圓阿弥」の名がある。菩提寺は松原山南林寺。法号は久屋寿山居士。華道の弟子に榎本新助貞興がおり、生花を相伝する。
== 参考文献 ==

*薩藩叢書刊行会「新薩藩叢書4」1971年9月15日、歴史図書社
*上野尭史「鹿児島士人名抄録」高城書房
*鹿児島県高等学校歴史部会「大石兵六夢物語」南日本出版文化協会
*原口虎雄監修「薩州島津家分限帳」青潮社



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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