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毛利治親[もうり はるちか]
毛利 治親(もうり はるちか)は、長州藩の第8代藩主。第7代藩主・毛利重就の四男で嫡出子。 == 生涯 == 宝暦4年(1754年)6月15日、江戸で生まれる。四男だったが正室の子で、かつ兄たちも相次いで早世したため、世子となる。明和5年(1768年)3月に元服して従五位下、壱岐守に叙任する。後に従四位下に叙任し、将軍徳川家治から偏諱を受けて、初名の徳元(のりもと)から治元(はるもと)に改名した(後に治親と改名)。天明2年(1782年)8月28日、父の隠居により跡を継ぐが、寛政元年(1789年)に父が死去するまでは実権は全くなく、また父の死からわずか2年後の寛政3年(1791年)6月12日に江戸で死去したため、治績などはほとんどない影の薄い藩主であった。享年38。跡を長男の斉房が継いだ。 墓所は山口県萩市椿の大照院。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「毛利治親」の詳細全文を読む
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