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毛利英於菟 : ウィキペディア日本語版
毛里英於菟[もうり ひでおと]
毛里 英於菟(もうり ひでおと、1902年明治35年)2月16日 - 1947年昭和22年)2月23日)は、大蔵官僚革新官僚を代表する一人であり、またそのイデオローグ政策立案者として活躍した。
== 人物 ==
門司新報社長で衆議院議員でもあった毛里保太郎の次男、妻は亀井貫一郎亀井凱夫の妹。福岡県に生まれ、小倉中学校旧制五高から東京大学法学部を卒業後、大蔵省へ入省。企画院の幹部を歴任した。
1935年(昭和10年)、満州国財務部に勤務していた毛里はジャーナリストの杉原正巳と意気投合し、後に杉原が主宰する雑誌『解剖時代』に次々と論文を投稿した。(杉原の活動は陸軍統制派の永田鉄山の援助を受けたものであった)
迫水久常美濃部洋次と共に「企画院三羽鳥」と呼ばれた〔川口 学「「革新官僚」の思想に関する一考察 -毛里英於菟の思想を中心に-」1999年6月(『一橋論叢121-6』)〕。
革新官僚達はマルクス主義の教養を身につけていたといわれるが、特に毛里は教養に止まらず、正木千冬志賀義雄服部之総達と共同で東大柳島セトルメントを創設し、活発に活動した。
『毛里英於菟関係文書』が国立国会図書館憲政資料室に寄贈されており、占領地の行政・財政(北支・蒙彊・満洲国冀東政府等)、企画院の経済政策、1945年の敗戦処理、等の資料や著作・講演の草稿類が蔵書されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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