|
毛利 衛(もうり まもる、1948年(昭和23年)1月29日 - )は、北海道出身の宇宙飛行士、宇宙航空研究開発機構 (JAXA) 宇宙環境利用システム本部有人宇宙活動推進室長、日本科学未来館館長、財団法人日本宇宙少年団団長、東京工業大学大学院総合理工学研究科連携教授。 == 来歴・人物 == 1992年(平成4年)9月12日から9月20日までスペースシャトルエンデバーにペイロードスペシャリスト(搭乗科学技術者)として搭乗し、秋山豊寛に次ぐ二人目の日本人宇宙飛行士となった(正確には当時の毛利は搭乗科学技術者)。また、日本国籍保有者として初めてスペースシャトル計画に加わった宇宙飛行士である。帰還直後、テレビカメラの前で「宇宙からは国境線は見えなかった」とコメントした。 2000年(平成12年)2月12日から2月23日には、2度目の宇宙飛行に参加。ミッションスペシャリスト(搭乗運用技術者)として、レーダーによる地球の地形の精密な観測 (SRTM) を行った。これ以降、現在まで宇宙飛行歴はない。 2004年(平成16年)5月15日に行われたタウンミーティングにおいて、習熟度別授業に対して肯定的な意見を述べた〔教育改革タウンミーティング イン 愛媛 議事要旨 〕。 専門は真空表面科学、核融合炉壁材料、宇宙実験。化学者でもある。 結婚し、子が3人いる。 幼い頃はカマキリと水泳が大の苦手で、風呂で溺れそうになった経験を持つ。航空事故に遭遇したこともあるが、死ぬのは怖くないという。 オーストラリアの南オーストラリア州立フリンダース大学での留学生寮生活の経験から、対人コミュニケーションの重要性を認識し、アメリカ航空宇宙局(NASA)では技術者たちだけではなく、事務員たちとも親しく接していた。事務員たちの心証が良かったことが評価され、搭乗運用技術者に選抜されたことに繋がったという〔NHKラジオ深夜便「わたしの“がむしゃら”時代」、2013年4月9日放送より〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「毛利衛」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|