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民秋 史也(たみあき ふみや、1938年6月10日 - 2010年8月17日)は、京都府出身の実業家。元・株式会社モルテン代表取締役社長。クリスチャン〔わが夢(1)、2010年10月1日閲覧。〕。 == 来歴 == 同志社高校、東京大学文学部および教育学部を卒業後、東洋工業(現マツダ)に入社。1970年にアメリカ子会社マツダ・モータース・オブ・アメリカに出向。その間、南カリフォルニア大学大学院で経営学を専攻した。〔 帰国後の1976年、義父の弟でありモルテンゴム工業(現モルテン)創業者の増田秀雄が体調不良により退いたため、同年より同社代表取締役社長に就任した〔。1979年、アディダスと技術提携したことにより、モルテンを世界的メーカーに育て上げた〔わが夢(2)、2010年10月1日閲覧。〕。 モルテン社長職ともに様々な役職を歴任、広島経済大学および広島修道大学の特別客員教授〔略歴、2010年10月1日閲覧。〕や、1986年から1994年まで広島県教育委員会委員〔、1990年3月から1997年11月まで広島商工会議所副会頭〔、広島キリスト教青年会(YMCA)理事長〔などを務めた。 また、スポーツ業界にも貢献し、2004年6月から社団法人日本スポーツ用品工業会副会長〔を務めた。 バスケットボール界においては、2003年日本バスケットボール協会(JABBA、2007年にJBAに改称)副会長に就任。日本バスケットのプロ化に10年以上に渡って怠惰を続けてきたことを受けてbjリーグを設立したことに対抗して、具体的方策の全く決まっていないまま、日本バスケットボールリーグのプロ化を宣言したものの頓挫する。この際の記者会見で「自慢してもいいですか。」という自画自賛ともとれる発言をしたことで物議をかもした。2007年より発足した日本バスケットボールリーグ(JBL)初代理事長に就任。2009年を以て定年制によりJBA副会長およびJBL理事長を退任、その後は両方の顧問に就任していた。 またサッカー界でも貢献、2002 FIFAワールドカップ日本組織委員会実行委員、2018/2022年FIFAワールドカップ日本招致構想日本招致委員会委員、広島県サッカー協会顧問などを務めた。 旭日小綬章、藍綬褒章、FIBA Order of Merit (バスケット推進功労賞)受賞。2010年8月広島市内の病院で死去〔。長男の清史が後任社長を務める。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「民秋史也」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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