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ポピュリズム()とは、一般大衆の利益や権利、願望、不安や恐れを利用して、大衆の支持のもとに既存のエリート主義である体制側や知識人などと対決しようとする政治思想または政治姿勢のことであり〔populism – Cambridge Dictionary Oline 〕〔populist - Oxford Dictionary online 〕〔今村仁司、三島憲一、川崎修「岩波社会思想事典」 岩波書店、2008年、p298-299〕、日本語では大衆主義や人民主義〔蒲島郁夫・竹中佳彦「現代日本人のイデオロギー」p402、東京大学出版会〕などと訳される。ほか、政治指導者が大衆の一面的な欲望に迎合して大衆を操作する方法を指し、大衆迎合主義〔小学館「デジタル大辞泉」〕〔三省堂「大辞林 第三版」〕とも訳される。また、同様の思想を持つ人物や集団をポピュリスト()と呼び、民衆派や大衆主義者、人民主義者、もしくは大衆迎合主義者などと訳されている。 == 歴史 == 「ポピュリズム」の用語は「(民衆)」に由来し、通常は「エリート主義」との対比で使用される〔Populist Mobilization: A New Theoretical Approach to Populism, Robert S. Jansen, Sociological Theory, Volume 29, Issue 2, pages 75–96, June 2011〕〔Ideology, Public Opinion, and Media - Glossary - American Politics 〕。 古代ローマでは「populus」は「ローマ市民権を持つ者」の意味であったが、ポピュリスト達は「民衆派(大衆派)」とも呼ばれる事実上の党派となり、ティベリウス・グラックス、ガイウス・マリウス、ガイウス・ユリウス・カエサル、アウグストゥスなどは、元老院を回避するために民衆に直接訴えて市民集会で投票を呼びかけた〔Julius Caesar (William Shakespeare, Marvin Spevack) 2004, p70〕。 19世紀にヨーロッパで発生したロマン主義は、従来の知識人中心の合理主義や知性主義に対抗し、大衆にナショナリズムやポピュリズムの影響を与えた。1850年から1880年のロシア帝国では、知識人(知的エリート)に対立する運動として現れた〔 Larousse, Le Petit Robert, des noms propres, 1997, 19世紀末のアメリカ合衆国では、人民党(通称ポピュリズム党)が既成の支配層である鉄道や銀行を攻撃し、政治思想としての「ポピュリズム」が広く知られるようになった。以後もアメリカでは、マッカーシズムや、2000年代のティーパーティー運動などがポピュリズムと呼ばれている。 1930年代のイタリアのファシズム運動〔Ferkiss, Victor C. 1957. "Populist Influences on American Fascism." Western Political Quarterly 10(2):350–73.〕〔Dobratz and Shanks–Meile 1988〕〔Berlet and Lyons, 2000〕、ドイツのナチズム〔Fritzsche, Peter. 1990. Rehearsals for Fascism: Populism and Political Mobilization in Weimar Germany. New York: Oxford University Press. ISBN 0-19-505780-5: 149–150.〕、アルゼンチンのフアン・ペロン政権〔Latin America - The return of populism - The Economist 〕などは、既存のエリート層である大企業・外国資本・社会主義者・知識人などに強く反対し、大衆に対して雇用や労働条件向上を実現する変革を直接訴えたため、ポピュリズムと呼ばれる場合が多い。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ポピュリズム」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Populism 」があります。 スポンサード リンク
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