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非政府組織(ひせいふそしき、)は、民間人や民間団体のつくる機構・組織であり、国内・国際の両方がある。日本語では、NGOという言葉が、国際的なものとして使われており、「国際協力に携わる組織」や「政府を補完する側面」というような場合に使用される。ただし、英語ではNGOは可算名詞としてみなされているため、原則としてNGOsと表記される。 ==歴史== 国家間および政府間の協調は同盟、条約、協定という形式をもって存在していたが、当事国の安全保障や国益追求のための方策であり、共通の目的や関心を有する共同体の建設への足がかりとしては言えないものであった。そのためには共通の規則を制定し、共同の利益を守るために制度の創出の必要が迫られた。19世紀になり度量衡の統一、郵便・配達に関する費用の基準化、伝染病予防のため、諸国家の加盟により、万国郵便連合、国際電信連合、国際衛生理事会、のような国際組織の設立につながった。 1815年ウィーン会議で設立されたライン川航行中央委員会は中央ヨーロッパ諸国に限定されるものであったが、1813年健康理事会は欧州諸国に加えオスマン帝国も含むものだった。自国民の安全や利益だけでなく、諸国の共同の福祉を促進し、国際協調というものが、自国にも諸国にも得るものが多いということを人々に認識させてきたのである。 19世紀後半におよそ10のNGOが設立され始めた。NGO自体は国家に対峙して設立されたものではなく、政府と協力して活動を展開した。 例としては国際赤十字であるが、当初はNGOではなく政府間組織であった。スイス人アンリ・デュナンはサルディニアとフランスがオーストリアと闘ったソルフェリーノでの戦闘(1859年)を目の当たりにして著述した『ソルフェリーノでの思い出』(1862年)であり、これがスイス政府を動かし、戦傷者の処遇改善へ向けて国際会議を組織し、1864年には赤十字がジュネーヴで民間主導で組織された。 この会議に出席した諸政府は赤十字団体の活動を認める条約に署名したのである。衛生や健康の分野においても汎米衛生事務局や結核撲滅キャンペーン中央局が1902年に設立された。 第一次大戦後、死傷者数の多さなどの反省から組織化という考え方が戦後国際問題に重要な問題とみなされ、国際連盟が制度として成立される。NGOの数は増え続け1929年には478に上る総数の国際組織が上げられたが、そのうち90%は民間機関であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「非政府組織」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Non-governmental organization 」があります。 スポンサード リンク
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