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水上 善雄(みずかみ よしお、1957年8月9日 - )は、神奈川県横須賀市出身の元プロ野球選手(内野手)。 == 来歴・人物 == 横須賀市立不入斗中学校卒業。桐蔭学園高校出身。、プロ野球ドラフト会議でロッテオリオンズに3位で指名された。入団4年目のに遊撃手のレギュラーポジションを獲得。には33犠打のパシフィック・リーグ記録(当時)を達成。には打率3割をマークし、にはベストナインを受賞した。 『10.19』として語り継がれている、10月19日のロッテ対近鉄バファローズ26回戦(ダブルヘッダー第二試合)では、途中から三塁の守備に入り、新井宏昌の三塁線を襲った強烈な打球をダイビングキャッチで捕球し、近鉄の勝ち越しを阻止したことが近鉄監督仰木彬の著書でも言及されている〔仰木『燃えて勝つ』学習研究社、1990年3月、241ページ、ISBN 978-4051045821、30頁 〕。 は襟足をかなり長く伸ばすという奇抜な髪型で話題となる。 に高橋慶彦・白武佳久・杉本征使との交換トレードで、高沢秀昭と共に広島東洋カープに移籍。高校の同期生だった長内孝と1年間だけだが同僚になる。広島ではプロ通算100本塁打を打っている。 翌には金銭トレードで福岡ダイエーホークスに移籍。入団発表前に、ビルの階段で転んで顎を骨折し、本人は入団会見を欠席した。1991年は100試合に出場するものの、翌は6試合のみの出場に終わり、同年オフに現役を退いた。 引退後は、築地のマグロ市場に勤務するが、少年野球の指導に携わるために退職し、会社員となる。その一方でJ SPORTS、テレビ東京の野球解説者や、プロ野球マスターズリーグ・東京ドリームスの選手としてもプレーした。また、ハロー!プロジェクトのキックベースボールチームであるメトロラビッツH.P.の監督も務めているが、同チームは事実上の活動停止状態にある。 に北海道日本ハムファイターズの二軍内野守備コーチとして15年ぶりに現場復帰。当時鳴り物入りで入団してきた勝気な中田翔が孤独になりがちなのを見かね、何かと後ろ盾になって、最後には「兄貴分」として慕われる信頼関係とまでなった。同時に親しい記者には「期待株?そりゃあ陽岱鋼って子ですよ。こいつは伸びる。何でもできるセンスがある。中でもできたらショートやらしたいんですけどね。」と突き放し、必要以上に擁護したり、甘やかしたりはしない厳しさもみせた。翌は二軍監督兼内野守備コーチ、は二軍監督専任となり、同年オフに退団。 退団後のからは札幌テレビ放送・STVラジオの野球解説者として活動した。また、村田兆治による離島の子供たちへの野球親睦活動にも参加し、補佐役を務めた。からはGAORAプロ野球中継の解説者、道新スポーツ評論家にも就任。東京メトロポリタンテレビジョンの解説者も務め、2013年には再びテレビ東京の解説者も務めた。は福岡ソフトバンクホークスの三軍統括コーチ兼ファーム内野守備チーフコーチ就任〔小川ヘッドコーチ、水上コーチが就任会見を行いました 福岡ソフトバンクホークス公式サイト2013年10月15日配信〕、からは二軍監督を務める。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「水上善雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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