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水原玲子[みずはら れいこ]
水原 玲子(みずはら れいこ、1911年3月10日 - 1935年10月12日)は、日本の女優である〔キネマ旬報社, p.637-638.〕〔''水原玲子''、''jlogos.com'', エア、2013年4月10日閲覧。〕〔''水原玲子''、日本映画データベース、2013年4月10日閲覧。〕〔''水原玲子''、日本映画情報システム、文化庁、2013年4月10日閲覧。〕〔''水原玲子''、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年4月10日閲覧。〕。本名吉野 美智子(よしの みちこ)〔〔。 == 人物・来歴 == 1911年(明治44年)3月10日、広島県広島市下柳町(現在の同県同市中区銀山町)に生まれる〔〔。 旧制・広島県立広島第一高等女学校(現在の広島県立広島皆実高等学校)に進学するが、同校を中途退学して大阪に移り、道頓堀の「カフェー赤玉」の女給に入り、人気を得る〔〔。梅田新道の「パリジャン」に移籍するが、1930年(昭和5年)9月、帝国キネマ演芸が広津和郎の小説『女給』を映画化すべくヒロインを探していたところ、白羽の矢が当たり、同社太秦撮影所現代劇部に入社する〔〔。主役の『女給』と脇役の『春遠からず』(いずれも監督曾根純三)が同時進行で撮影され、前者が翌1931年(昭和6年)1月10日、後者が同年1月5日に公開されて前者が大ヒットとなり、満19歳のデビュー作にして「女給出身のスター」と話題になった〔〔〔〔。 同年8月28日、同社は新興キネマに改組され、水原は新興キネマに継続入社した〔〔〔〔。藤山一郎の『丘を越えて』を主題歌としたサイレント映画『姉』で主演し、同作は、同年12月24日に公開されている〔〔〔〔。1934年(昭和9年)、津村博との恋愛問題で退社を余儀なくされる〔〔。 退社後は映画界を離れ、劇団に入り地方巡業の果てに過労のため自宅に戻って療養していたが、1935年(昭和10年)10月12日、京都市右京区太秦桂ヶ原町の自宅で病気により死去した〔〔。満24歳没。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「水原玲子」の詳細全文を読む
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