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水野忠実 : ウィキペディア日本語版
水野忠実[みずの ただざね]

水野 忠実(みずの ただざね)は、紀伊新宮藩紀州藩附家老)〔幕藩体制下では大名格の所領を有しながら陪臣として扱われ、明治維新までは大名とは見なされなかった。〕第7代藩主。忠奇(ただより)とも伝わる。初名は忠寛(ただひろ)。
== 生涯 ==
寛延2年(1749年)11月23日、旗本水野守鑑の次男として生まれる。幼名福次郎。父・守鑑は旗本水野忠伸の三男であり、旗本水野守満水野忠守の次男・守重の子孫)の養子となっていた。
同族〔忠実は紀州藩附家老を務めた水野重央紀伊新宮藩初代藩主)の次男・定勝の子孫である。〕である紀伊新宮藩主・水野忠興の養子となり、宝暦13年(1763年)6月28日に養父が死去したため、同年8月6日に跡を継いだ。同年9月1日、第10代将軍徳川家治に初御目見し、同年12月9日には従五位下土佐守に叙任する。
文政5年(1822年)4月25日、死去。享年73(満72歳没)。嫡男の範明文化2年(1805年)に早世していたため、家督は範明の長男の忠啓が継いだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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