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水野忠成[みずのただししげる]
水野 忠成(みずの ただあきら)は、江戸時代後期の老中、駿河国沼津藩第2代藩主。沼津藩水野家9代。通常は老中在籍時の出羽守の官名で呼ばれることが多い。老中在職期間は文化14年(1817年) - 天保5年(1834年)。 == 生涯 == 宝暦12年(1762年)、旗本岡野知暁の次男として生まれる。安永7年(1778年)に2000石取りの分家旗本水野忠隣(浜町水野氏)の末期養子となり、忠隣の養女を娶って家督を相続する。吉太郎と称する。10代将軍徳川家治に仕え、小納戸役・小姓を歴任、天明5年(1785年)に従五位下大和守に任官する。翌年、沼津藩主水野忠友の養子となり、その娘八重と再婚する。享和2年(1802年)、忠友の死により沼津藩主を継ぎ、奏者番に任命された。翌年には寺社奉行を兼務する。以後、若年寄・側用人を歴任し、11代将軍徳川家斉の側近として擡頭する。 文化14年(1817年)、いわゆる「寛政の遺老」松平信明の死を受けて、老中首座に就任する。義父・忠友は松平定信と対立した田沼意次派の人間であり、忠成もその人脈に連なる。忠成は家斉から政治を委任されて幕政の責任者となったが、その間は田沼時代をはるかに上回る空前の賄賂政治が横行したという。天保5年(1834年)2月、73歳で死去した。三男の忠義が跡を継いだ。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「水野忠成」の詳細全文を読む
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