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水野監物邸跡(みずのけんもつ てい あと)は、東京都港区芝5-20-20にある三河岡崎藩主・水野家の中屋敷跡である。現在は灯籠のみが残っている。 水野監物(忠之)が藩主の時、この屋敷には赤穂事件で吉良上野介(義央)の屋敷に討ち入った赤穂浪士9名が幕府の沙汰を待つためにお預けになり、元禄16年(1703年)2月4日同屋敷で切腹した。現在の慶應仲通りが三田二丁目から田町側に向かい、商店街の終点で東南に折れる場所の正面の医院の前に位置する。実際の屋敷は同地より北へ50メートルほど離れた場所にあった。 == 預けられた赤穂浪士9名 == *間十次郎(光興) *奥田貞右衛門(行高) *矢頭右衛門七(教兼) *村松三太夫(高直) *間瀬孫九郎(正辰) *茅野和助(常成) *横川勘平(宗利) *三村次郎左衛門(包常) *神崎与五郎(則休) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「水野監物邸跡」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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