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水銀の遺産アルマデンとイドリヤ : ウィキペディア日本語版 | 水銀の遺産アルマデンとイドリヤ[すいぎんのいさんあるまでんといどりや]
水銀の遺産アルマデンとイドリヤ(すいぎんのいさんアルマデンとイドリヤ)は、スペインのとスロベニアのイドリヤにそれぞれ残る水銀鉱山と、それらに関連する旧市街や産業遺産群を対象とした国際連合教育科学文化機関 (UNESCO) の世界遺産リスト登録物件である。アルマデンとイドリヤで産出された水銀は、かつて何世紀もの間、ラテンアメリカで産出される銀の精錬に不可欠の存在であり、ヨーロッパへの大量の銀流入を陰で支える役割を果たした。そのため、アメリカ大陸での水銀需要は増加の一途を辿り、それに対応するためにアルマデンやイドリアでは増産の努力が重ねられた。現在残る町並みや施設群は、そうした鉱業の発展と大陸間交易の様子を今に伝えるものである。 == ラテンアメリカの銀鉱山と水銀 == スペイン帝国の植民地のうち、ヌエバ・エスパーニャ副王領のサカテカスやグアナフアトなどの銀山と、ペルー副王領のポトシ銀山は銀の産出地として重要なものであった。 アメリカ大陸での銀の精錬には当初、木炭を大量に消費する溶鉱法が用いられていたが、1550年代に水銀のアマルガムを利用する精錬法が導入され始めると、それが急速に広まっていった〔近藤 (2011) pp.47-48〕。それは「パティオ精錬法」と呼ばれるもので、中庭(パティオ)の砕鉱機で細かく砕いて泥状にした銀鉱石に塩を混ぜ、状況に応じて石灰や黄銅鉱なども混ぜる下準備をほどこした塊に、水銀を混ぜて踏むことでアマルガムを作り、その攪拌や加熱によって銀を取り出すというものであった〔近藤 (2011) p.49〕。従来の銀の精錬が大量に木材を使うものであり、サカテカス銀山も開発によって山林が大規模な伐採に遭ったのに対し〔近藤 (1959) p.131〕、パティオ精錬法は最終工程の一部を除いては加熱の必要がないため、禿山の銀鉱山でも精錬ができるとして普及した〔近藤 (2011) pp.49-50〕。 それに伴って水銀需要も増大したが、それを支えていたのがアルマデン、イドリヤ、(ペルー)の3鉱山であった。スペインでは、一時的に中国産の導入などを検討したこともあったようだが、期待した量を買い付けられなかったことや、外国産を導入することで買い付けに伴う銀流出が起こることへの懸念などから実現されず〔近藤 (2011) pp.102-103〕、実質的にその後のスペイン帝国時代の全期間を通じて、上記3鉱山が独占的な供給元となった〔近藤 (2011) p.51〕。このうち、主としてアルマデンはヌエバ・エスパーニャ副王領の、ウアンカベリカはペルー副王領の需要をまかなうものと位置付けられ、イドリヤはそれらの補助的役割を担った〔。
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