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永井 怜(ながい さとし、1984年9月27日 - )は、群馬県藤岡市出身の元プロ野球選手(投手)。 == 経歴 == === プロ入り前 === 藤岡市立神流小学校3年生の頃から「神流リバース」にて外野手として野球を始め、後に内野手、投手を兼任。野手兼任は中学時代いっぱいまで続き、高校生から投手に専念することになる。東農大二高時代は2年生秋からベンチ入り。最高成績は3年生春の県大会ベスト16だった。 東洋大学では、1年生秋からリーグ戦に登板。2年生からエースとして活躍。2005年春の東都大学リーグ戦、対中央大学戦では16奪三振を記録。2006年は春に青山学院大学戦にて2試合連続の完封勝利も記録し、夏の第35回日米大学野球大会と第3回世界大学野球選手権大会のメンバーにそれぞれ選ばれた。東都リーグ通算50試合登板12勝12敗、防御率2.92の成績を残す。当初はプロ野球選手という進路は考えておらず、高校野球の指導者になることを志望していた。このため高校公民の教員免許取得を目指していたが、最終的に2単位足りず取得できなかった。卒業後も単位を取得すれば教員免許は得られるため、いずれは取得したいと語っている。なお東洋大への入学はスポーツ推薦ではなく一般入試である。そのため、ドラフト指名後も試験や教育実習、卒業論文の提出などに忙しく度々キャンプを離れていた。因みに、法学部法律学科である。 2006年、大学生・社会人ドラフトで東北楽天ゴールデンイーグルスに1巡目指名を受け入団。 大学時代の背番号は18番だったが、この番号は高校生ドラフトで1巡目指名された田中将大に用意されていたため、永井は30番を提示された。これに対して永井は「奪うくらいの気持ちで頑張りたい。負ける気はしない。」とライバル心を燃やしていた。しかし本人は背番号自体に対する強いこだわりはなく、提示された30番に対しては江川卓を思い浮かべ、「30番といえば江川さん。凄い投手ですけど、そうなれるように頑張りたいです。」とコメントした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「永井怜」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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